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小学校の恩師からの言葉  

2019年6月10日 月曜日


昨日お会いした、小学校の恩師から、伊藤整著「青春」からの一言を頂いた。
恩師も、凄まじい青春を駆け抜けた。
私も、青春時代にひきこもり、地獄を見ました。
皆様は、この文章をどのように読まれるでしょうか?
1人1人、まったく違う読み方、違う捉え方をしていただけるととても面白いと思います。
伊藤整 「青春」より
人の生涯のうち、一番美しくある青春の季節は、おのずから最も生きるにむずかしい季節である。
神があらゆる贈り物を一度に人に与えてみて、人を試み、それに圧し潰されぬものを捜そうとでもしているかのように、その季節は緑と花の洪水になって氾濫し、人を溺れさせ道を埋めてしまう。
生命を失うか、真実を失うかせずに、そこを切り抜ける人間は少ないであろう。
人の青春が生に提出する問題は、生涯のどの時期よりも切迫しており、醜さと美しさが一枚の着物の裏表になっているような惑いに満ちたものだ。
モンテーニュが“人は年老いて怜悧に徳高くなるのではない。ただ情感の自然の衰えに従って自己を統御しやすくなるだけである”と言っているのはたぶんある種の真実を含むことばである。
青春には負担が多すぎるのだ。
しかも、その統御しやすくなった老人の生き方をまねるようにとの言葉以外に、どのような教訓も青春は社会から与えられていない。
それは療法の見つかるあてのない麻疹のようなもので、人みながとおらなければならぬ迷路と言ってもいいだろうか。
もし青春の提出するさまざまな問題を、納得のゆくように解決しうる倫理が世にあったならば、人間のどのような問題もそれは、やすやす解決しうるであろう。
青春とは、とおりすぎれば済んでしまう麻疹ではない。
心の美しく健全なひとほど、自己の青春の中に見いだした問題から生涯のがれえないように思われる。
真実な人間とは自己の青春を終えることのできない人間だと言ってもいいであろう」

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小学校時代の先生に会いに行く ノスタルジア紀行

2019年6月10日 月曜日


昨日は、小学校時代の友人の北中明くんと、安芸津に、小学校時代の先生に会いに行った。
約40年ぶりの再会だ。
瀬戸内海が一望でき、棚田が拡がる素晴らしい環境でした。
田んぼには、おたまじゃくしがうようよ。
まわりは、びわの木に囲まれているご自宅でした。
じゃがいもがめちゃくちゃ旨い土地柄とのことでした。
先生に、昼食をご馳走になりながら、先生から、小学校時代のこと、その後の人生、現在のいろんな考え方を学び、とても有意義な時間でした。
別れ際、先生に「人の役に立つ人間になれ」「幸せになれ」という言葉を頂き、とても感激しました。
先生の家を出たあと、安芸灘大橋を渡り、御手洗を回り、帰途につきました。
とても楽しく、リフレッシュできた1日でした。
先生、あきちゃん、ありがとうございました。
昨日書いた通り、新しい人生が始まった感じです。
どんどん、新しいことにチャレンジするぞー!
80代の円熟を目指し、50歳の小僧は今日も頑張ります!

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