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第三者として生きる



これは、無責任に生きるという意味ではありません
「第三者として生きる」というのは、「第三者」として、「家庭」や「会社」に入り、問題解決に当たるという覚悟を表す言葉です。
介護やひきこもり支援では、「家族」に「第三者」として踏み込みます。奥の奥まで踏み込みます。
了解をとりながら、家族の闇、家族の無意識まで踏み込みます。
底なし沼に引きずりこまれそうになることもあります。
コンサルタントとしては、「会社」に「第三者」として踏み込みます。
社長以外、誰もみたことがないところまで踏み込みます。帳簿の奥の奥まで読み込みます。
私だけが、経営状態の全容を知ることになる場合もあります。
通常の状態、平時なら、そんなことをする必要性はありません。
当事者だけで、「家族」も「会社」も運営するのが当然です。
しかし、危機ではそうはいきません。
家族や経営者や社員だけでは、変えられないことがでてきます。
そこを変えなければ、「家族」や「会社」が壊れて潰れてしまうのがわかっていても、内部の方には手を付けられない場合が多いです。
そんな時には、「第三者」が必要です。不可欠です。
あえて、空気を読まず、流れを無視できる「第三者」が大事になってきます。
これが、「第三者として生きる」の意味です。

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