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小学校の恩師からの言葉  



昨日お会いした、小学校の恩師から、伊藤整著「青春」からの一言を頂いた。
恩師も、凄まじい青春を駆け抜けた。
私も、青春時代にひきこもり、地獄を見ました。
皆様は、この文章をどのように読まれるでしょうか?
1人1人、まったく違う読み方、違う捉え方をしていただけるととても面白いと思います。
伊藤整 「青春」より
人の生涯のうち、一番美しくある青春の季節は、おのずから最も生きるにむずかしい季節である。
神があらゆる贈り物を一度に人に与えてみて、人を試み、それに圧し潰されぬものを捜そうとでもしているかのように、その季節は緑と花の洪水になって氾濫し、人を溺れさせ道を埋めてしまう。
生命を失うか、真実を失うかせずに、そこを切り抜ける人間は少ないであろう。
人の青春が生に提出する問題は、生涯のどの時期よりも切迫しており、醜さと美しさが一枚の着物の裏表になっているような惑いに満ちたものだ。
モンテーニュが“人は年老いて怜悧に徳高くなるのではない。ただ情感の自然の衰えに従って自己を統御しやすくなるだけである”と言っているのはたぶんある種の真実を含むことばである。
青春には負担が多すぎるのだ。
しかも、その統御しやすくなった老人の生き方をまねるようにとの言葉以外に、どのような教訓も青春は社会から与えられていない。
それは療法の見つかるあてのない麻疹のようなもので、人みながとおらなければならぬ迷路と言ってもいいだろうか。
もし青春の提出するさまざまな問題を、納得のゆくように解決しうる倫理が世にあったならば、人間のどのような問題もそれは、やすやす解決しうるであろう。
青春とは、とおりすぎれば済んでしまう麻疹ではない。
心の美しく健全なひとほど、自己の青春の中に見いだした問題から生涯のがれえないように思われる。
真実な人間とは自己の青春を終えることのできない人間だと言ってもいいであろう」

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