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「見守り」論   人事を尽くて天命を待つ


私は、よく、いろんな場所で、「今、見守っているところです」なんて言葉を聞く。今日も講演先で聞いた。
しかし、私は、本当に「見守っている」のだろうかと疑問を持つ。
案の定、よく聞いて観察してみると、何もせず「放置」していることを「見守り」と言っているのがほとんどだ
関わると面倒だし、揉めるので、「放置」しているだけなのだ。
これは、とても楽だが、これで事態が改善するわけはない。
むしろ、どんどん悪化する。そして、ドツボにはまる。
ここで、私の考える「見守り」を定義してみる。
1、できることはすべてやりきること(見守る側が)
2、全身全霊をかけ目を離さず見ている(手を出さずに)
これが、本当の「見守り」だと思います。
この「見守り」をすれば、相手はある意味「自動的」に変わります。時間はかかるが、「内発的」に変化していきます。
これは、介護でも、ひきこもり支援でも同じです。
「見守り」って、消極的に聞こえますが、全体重をかけた積極的能動的なものなのです。

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