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落語をしない落語家    柳家小三治 


小三治師匠は、ある意味、落語を脱構築している。
これは、談志師匠とは違う形での脱構築だ。
ふたりとも、柳家小さん師匠の弟子だが、同じように型を極めていった結果、まったく違う方向で「型やぶり」になっている。
似ているのは、2人とも、落語を極めすぎて、落語をやらなくなっていることだ。
落語という型がなくても、彼らの話自体が落語なのだ。
存在自体が落語なのだ。
まさに、孔子の言う「心の欲するところに従えども矩を喩えず」という境地かもしれない。
無理に落語をしなくても、話すだけで、いるだけで落語なのだ。
この境地に到達した先駆者は、古今亭志ん生師匠。
彼が高座の上で眠ったのを見て、客が「眠らせてあげよう」と師匠とのそんな時空を楽しいんだそうだ。
もしかすると、小三治師匠もそんな領域まで行ってしまうかもしれない。
談志師匠が亡くなった今、小三治師匠には長生きして、もっと落語をしなくなってほしいと思います(笑)
こんなことを言うと、師匠は「落語ができなくなっただけだよ。疲れちゃうから」とおっしゃるかもしれません。

無題

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