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交換可能な存在である憂鬱


親子は当然、交換不可能な関係である。これは当たり前。
交換不可能というのは替えがきかないと言うことだ。嫌だろうがなんだろうが親であり子である。
しかし、社会では違う。ほとんどの人は交換可能だ。誰でもいい。これは事実だ。
しかも、これからは、どんどん機械にとってかわられる。
この交換可能であることは人間を苦しめる、追い詰める。
自分でなくてもいい、自分がいなくても状況が何もなかったかのように動く。
これが人を憂鬱にさせる。
これを回避するためには、自分を交換不可能な人に、自分で育てなければならない。
大きなことではなく、自分にしかできないこと、自分が必要とされるフィールドをみつけ、日々鍛錬し、自分を成長させる
ことだ。これは肩書や地位ではない。そんなものは交換可能だ。
明日からいくらでも別の人が引き継げる。
そんなものではなく、深い関係性を築くこと、自分でなければならない、その相手でなくてはならないという関係を築けるかどうかが重要だ。
これは仕事でも、家庭でも、友人でも言えるだろう。

無題

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