広島のデイサービスなら楽園 > ブログ > 「いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか」立川談慶著

「いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか」立川談慶著


落語には古典落語と新作落語がある。
古典とは大雑把に言えば、江戸時代からあるもの。新作とは最近作られたものと言える。
その古典なのだが、よく演じられる演目は300くらいだろうか・・・・この300が繰り返し高座にかけられる。
たった300の噺が落語を支えているのだ。
それなのに、客はその300の同じ話を聴きに行く。同じ話を何度も何度も聴く。これは私も同じだ。
なぜだろう?
私の考えでは、まず、その300の中に物語の「原型」があるのだ。200年300年練られた、物語の「型」いうものがあり、何度聴いても飽きないのだ。そこには、人間や社会やいろんなものが流し込まれており、普遍的なものがあるのだ。
そして、その普遍的な物語を語る落語家のオリジナリティーがある。
まさに、人によって、その普遍的な話がまったく違う話になるのだ。
大げさに言えば、ある人が語ると喜劇に、ある人が語ると悲劇になるくらい違う。これが落語家の個性、オリジナリティーだ。
古典とはかくも摩訶不思議なものだ。
そして、高座はまさにドキュメント。何が起きるかわからない。同じ噺なのだが、お客様が違えばまったく違う。
客の力も合わせて、いいものになったり、悪いものになったりするのだ。
これだから、生は、LIVEは面白い。
皆様もぜひ一度聴いてみて下さい。
松本人志の「すべらない話」が古典を目指した新作落語だということがよくわかります(笑)

無題

広島ブログ



コメントをどうぞ

Spam Protection by WP-SpamFree

▲ページの先頭へ戻る