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「いじめはなかった」


こんなことを言う校長がいる。
しかし、これは、ほとんどの場合、校長や学校関係者の「願望」だろう。
「いじめはなかった」ではなく、「いじめはあってほしくない」→「いじめはなかった」という感じだろう。
いじめがあることを認めれば、自分たちが大変なことになる。
いろんな責任を問われる。大事になる。
そんな事態を避けるには、なかったことにするのが一番。確認できなかったことにするのがいいと考えるのだろう。
ないことにして、確認できなかったことにして、その場をやり過ごす。
いじめられた個人、その家族を切り捨てて、全体を維持する。
昔なら、これでもっていた。学校も先生も信用されていた。
しかし、今は、学校も先生も信用されていないし、ネット等ですべて露呈してしまう。
現代では、早めにすべてオープンにした方がダメージは少ない。
本当にいじめがなかったのならいいが、いじめはない方がいいという考えで隠蔽すれば、後で大変なことになってしまいます。
これは、企業の不祥事でも同じでしょう。

無題

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